10年なんでも打ち込めばその道の専門家になれるらしい
なんでも続けることが大事だとはよく聞きます。10年くらい一生懸命やればプロとは言わずとも、結構詳しくなれるくらいの知識は得られる、と。
そのエビデンスというか根拠みたいなものはどこから来るのかなと思って探してみたら、こんな記事をみつけました。
10年とか1万時間だとか、いろいろ言われてますが、論文を発表した人がいるのですね。個人的にも、まあそれだけ続けりゃそうかもな、と思える年月ではあります。
一眼カメラを買ってから10年以上が経った
ところで、こないだふと、友人から一眼レフデジタルカメラを格安で譲ってもらってから10年以上経ったことに気づきました。確か2008年か2009年かそのあたりだったと思います。
その頃から旅に出ることがますます増えて、しかもアメリカの大自然!とかそういうのだったから、コンデジの画質では気に入らなくなったのでした。iPhoneを買ったのもその頃だったのかなー。10年ひと昔、今やスマホがない生活なんて考えられないのにね。
で、10年経って、写真うまくなったの?どうなの?というところだけれども、写真の教室とかそういうのには基本通わず、最初の頃は知識から入って頭でっかちにならないよう敢えて教則本なども読まずに、ただ当てずっぽうに(一応絞りと露出については勉強したかもだけど。かなり適当に)撮って撮って撮りまくる作戦で。
真剣に打ち込む期間が大事なのかも
昔の写真を見ると、カメラの性能がだんだん上がった(買う機種もどんどん上位機種になった)というのもあるけど、だいぶ今のほうが成長したなーという気はする。
でも一番力がついたのは、撮りまくり作戦もある程度功を奏したとは思うけど、それより何より、「フリーペーパーで自分の写真を使うことになったから、絶対失敗できない、いいものを撮りたい」という覚悟と真剣さだったように思う。
自分で自己満足で撮ってるだけなのと、写真が使われて、たった数千部でも世にばら撒かれるフリーペーパーとして残るというのは、全然真剣度が違う。写真を採用する側として自分の撮ったものを見たときに、今、フリーペーパーの発行当初(2013年)のものは、使えるものがすごく少ない。ピントが合ってないという根本的な問題とか、絞りの設定を間違えてるとか、いろいろ。
今でも建物内部の写真を撮ったり、人物を撮ったりするのも、緊張するしまだまだ慣れないけれど、それでも場数を踏んできたからこそ、成長できたっていうのはあると思うのです。
フリーペーパー「ゲストハウスプレス」を再編集した書籍
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プロも専門家にも程遠いけれど
旅先で、好き勝手に撮影するのと、ある程度取材で使われるのを想定して撮るのでは全然違うけど、それなりに機材にも投資して、年間20,000枚とか撮り続けてたら、たしかに12年経ったら、そこそこ自己満足できるレベルの写真も撮れるようにはなってきた。
とはいえ、プロでも専門家にもなれる気はしない。でも自分の中で、こういうのを撮りたいとか、撮ってる自分が好き、カメラとレンズを比較検討したりするのが好き(笑)といことで、幸せを感じられてるならそれが最高だとも思っているのです。
好きであり続ける尊さ
好きであり続けること。写真を撮り続けて、文章を書き続け、フリペを作りづづけること。旅をし続けること。どれも飽き性で続かない自分として、強弱ありつつもやっぱり好きだからやっていることです。
好きであることの尊さってあると思う。情熱がないと好きは続かないから。
旅も写真も、動画もこれからコツコツ続けていきます!
旅を続けて、旅に近いところで仕事をする。旅が出やすい仕事のスタイルを考えて実行する。常にそうやって動いてきました。そして今、写真に加えて動画の世界にちょこちょこと首を突っ込み始めてます。
写真が2Dだとすると、動画は時間の概念が増えるので3Dの世界ともいえる。音楽、シナリオ、といった世界が加わり、より豊かな表現ができるとともに、めちゃめちゃ難しい世界でもある。
写真も映像も、それで食っていこう!みたいな気は全然ないけれど、でも自分の感じたこと、感動した景色や思いを表現するものとして、文章とともにシェアする手段としては最高におもしろいし、終わりのないチャレンジだなと思っているのです。これからもコツコツ続けていって、たまに写真が褒められると喜ぶ、みたいなスタンスで精進してきたいです。