ライトアップされた桜の花は不思議な魅力があります
桜の季節はとても短い。それがまた独特の魅力を生んでいます。
特にお花見という習慣がある日本の桜(ソメイヨシノ)は、夜のお花見需要もあるからか、あちこちでライトアップされることも多く、より妖艶な魅力を生んでいるなと感じます。
この写真は、大阪市内の隠れた桜の名所として知る人ぞ知る存在の、土佐稲荷神社というところで行われている桜まつりの様子。公園部分と神社部分に分かれている敷地の神社部分にピンク色の提灯が多く飾られ、独特の雰囲気を醸し出しています。
土佐稲荷神社の社紋は三菱マーク
神社名に土佐とついている通り、実はこの地は江戸時代土佐藩の蔵屋敷があった場所。そしてすぐお隣に三菱グループの生みの親、岩崎弥太郎の旧家がありました。近くには西長堀アパートという、戦前に建てられた日本初とかそれに近い高層住宅があり、若き日の司馬遼太郎はここに居を構え『竜馬がゆく』を書いたと言われています。
そんな土佐藩と三菱グループの縁が深いこの神社は社紋が三菱のマークと同じなんですね。
大阪にスリーダイヤの神社ー 三菱発祥の地 信仰今も 問屋街近くに土佐藩邸 岩崎弥太郎 事業拠点に(会員限定記事かも)
概要はこんな感じ↓
まずは東京にある三菱グループの企業で作る広報組織、三菱広報委員会に問い合わせた。すると、返ってきたのは「大阪の土佐稲荷神社こそが三菱発祥の地です」との明快な答え。それによると、弥太郎は1869年ごろ、土佐藩邸の責任者となった後、藩の借金を肩代わりするという条件で藩邸と蔵屋敷を下げ渡された。弥太郎はこの場所を拠点に事業を起こし、それが後の三菱財閥につながった。もちろん神社も受け継ぎ、三菱の守護神とした。
弥太郎は1874年に本拠地を東京に移し、大阪の敷地は大阪市に譲渡した。だが、土佐稲荷神社はその後も守護神であり続けた。境内には弥太郎の弟の弥之助が寄進した青銅のこま犬があり、銘文が刻まれている。
現在、土佐稲荷神社が神紋にスリーダイヤを用いているのはそうした経緯からだ。その後、神社は独立した宗教法人になり、「現在は三菱とは公的な関係はない」(同神社)というが、「今でもグループ企業の役員や社員が参拝に訪れることがよくあります」(三菱広報委員会)とのこと。現在まで信仰は生きているのだ。
桜の時期2週間ほど桜まつりが行われています
そんな神社ですが、別にだからといって特段豪華なまつりというわけでもなく。毎年粛々と小さな夜店群が出て、ピンクのぼんぼりが点いて。ほーっと見てるうちに気がついたら終わっている、そんな夢のような一瞬です。
小さいながらも夜店が出ていつもと雰囲気が一変
いつもはなんの変哲もない静かな公園ですが、この時期だけは公園部分(といっても一の鳥居的なものの中だけど)に夜店が出ます。これも毎年すこーしずつ変化があって、わたしが小さい頃によく見ていたお店で今も残っているのは、ベビーカステラと金魚すくい、2つの大きな居酒屋みたいなところぐらいかなあ。あとは世相を反映してなのかもっと大人の事情なのかわかりませんが、だいぶ業者さんも様変わりしています。
公園部分のライトはピンクじゃなくて普通の電球。今年はかなり冷えたので多くはなかったですが、ちょうど時期的に会社の歓迎会などもあるのか、たくさんのブルーシートで埋め尽くされます。神社の境内のほうは宴会禁止。
動画でもどうぞ!
GoProのタイムワープで撮影した動画はこちら。なんとなく雰囲気伝わるでしょうか。
撮影機材
暗いシーンが多かったので明るい単焦点レンズで撮影。いまだにこの画角に慣れないけれど、撮れた写真は毎回「おっ」とうまくなった気になってしまう神レンズです。α7のⅡからⅢになって暗所により強くなってザラつきも減った気がします。