どうして旅に出るのか?
ここ最近、若干疲れてきたな〜と思いつつ(笑)短めの一人旅を続けています。ひとりじゃない旅も楽しいんだけれど、ここ最近は航空券の安さで旅の日程を決めることもあり、誰かを誘うという意識がすでに希薄になっていたりします。
どうしてそんなに旅に出るのか?もう若者といわれる年をとっくに過ぎて、増減はありつつも、20年以上気ままな旅を繰り返す。もちろん「旅が好きだから」なんですが、もう少し深く考えてみると、いろんな意味があるのだなと改めて気付かされます。
自分の「安心領域」を敢えて壊す
だんだん年を重ねてくると、いろんなことが俯瞰で見えてくるようになります。昔はがむしゃらで何も周りが見えなかったようなことも、今やなにかコトを起こす前からいろんな事情や状況が見えてきて、ついつい守りに入ってしまう。
それが通常の年の取り方なのかもしれないけれど、今のところ、自分はそれが嫌だなあと思っていて。自分が心地よいと思える「安心領域」っていうのがあって、それは住む場所や、それ以外の居場所、旅先なんかもそうかもしれない。よく知ってる、不機嫌になることもない、居心地のよい安心領域。
そこをしっかり守り抜く、という人生を送っている人も多々いると思うし、それが悪いことだとは全く思わない。けれど、わたしはたまたま今のところ、いろいろ課題はあるものの、かなり気ままにひとりで動ける状況にある。だったらその立場や状況を最大限モノにして、自分がありたい自分でありたい。
予定が未定の旅は、決断力を鍛える
旅と旅行の違いは、スケジュールがキツキツか、あまり決まってなかの違いなのでは?と少し前に書いたことがあるけれど、例えばひとりで旅をしていて、その日の予定が決まってないときは、「明日どこいく?」「何する?」「何食べてどこに泊まる?」というスケジュールを、自分で決める必要がある。
どんな選択をしても、他人のせいにできない。めちゃラッキーなことがあるときもあれば、「あーあ、失敗した」って場合もある。でもそのどちらも大事な経験。こうする、こうしない、というひとつひとつの物事を自分の意思で決める、その繰り返しを旅でしているうちに、きっと人生の大きな選択も、ちゃんと判断できてくる。
未知のことを発見する楽しさ
自分の決断力を旅で鍛えていくために、知らないところに行ってみるとか、試してみるとか、ちょっとした冒険をする機会が増えてくる。そうすると「へーこんなことがあるんだ」とか「まさか!?」みたいなカルチャーショックのようなことも、特に海外だとよく起こる。
そういう文化的・感覚的な未知を知ることによって、自分の頭がいかにカチカチで、半径数メートルの世界でしか生きてこなかったか?ということにも気づくことだってある。そういう意味で、新たな自分の内面に気づくツールといえるかもしれない。
わたしも毎回旅をするたびにその繰り返し。それが楽しくて、あー家に帰ってゆっくりしたい、と思いつつも(笑)旅にまたでかけていくのだと思います。
いつまでも好奇心旺盛でいたい
何歳まで続けられるか・・・と30歳くらいの頃からずっと思っていたけれど、未だにやってて、それなりに楽しい(笑)。ただ、少しずつ感じることも違ってきているし、今は自分だけが楽しくてOKというよりは、この経験をいろんな人にシェアして、伝えていきたい、という思いのほうが強い。そういう意味では、昔とはまったく違う意識で旅をしているかもしれない。
旅が続くと、体調を崩すこともあるし、気分がノラない日もあるし、それが日常になってくると好奇心も薄れてしまうことだってあるのだけれど、そうした頃に旅から戻ると、「いつもの平凡な日常」が、今度はすごく新鮮なものに映る。
人生の大事な要素が「旅」だと思うので、その楽しさと意義をこれからもいろんなかたちで伝え続けようと思うのでした。
おまけ。
今、台北の桃園空港第1ターミナルの無料ラウンジみたいなとこでこれを書いてるんですが、めっちゃ快適なんだけどものすごく冷房が寒い。長居させないため?と思うくらいに寒い・・・。