突然はじまった旅人ワンダラーユウコがあちこちへ「行ってみた」シリーズ。まとめてみるにはこちらから
室戸岬の近くにその洞窟はあります
この記事を書いてる2018年4月の今、ちょうど「空海_KU-KAI」っていう映画が上映されていますが、その法名である「空海」名前がどこから来てるか由来を知っている人はどれくらいいるかな?
少なくともわたしは全然しらなかった!
ということで、たまたまなんですが、その空海が空海になった場所、悟りを開いた御厨人窟(みくろど)をご紹介します。
高知方面から国道55号線沿いに室戸岬を過ぎてすこし行ったあたりにそれはあります。
本当に国道沿い!なので、神秘も何もあったもんじゃない感じの開放度。看板もありますし、あっけなく発見できます。
海の近くはこんなふうなジオパーク認定のゴツゴツした岩がたんまり。
御厨人窟(みくろど)は海の目の前にあった
空海が修行したのが右側の「神明窟」左手の「御厨人窟」は主に住まいの場だったそう。
以前は両方とも中に入ることができたそうなのですが(たまに写真が残されている)2012年と2015年に落石があった以後は立ち入り禁止となってしまいました。
目の前の駐車場から見た景色はこんな感じ。国道55号線が前を通っていますが、空海が修行をした頃はもっと海岸線が洞窟ギリギリまで迫っていただろうといわれています。
修行していた洞窟から空と海しか見えなかったから「空海」
御厨人窟と神明窟は国道55号沿いの室戸岬東側に位置する隆起海蝕洞である。洞窟前の駐車スペースとなっている場所は波食台であり洞窟上部の崖は海食崖である。御厨人窟の向かって右側に神明窟がある。それぞれ祠が祀られており、御厨人窟には五所神社があり祭神は大国主命、神明窟は神明宮があり祭神は大日孁貴となっている。
御厨人窟は平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられている。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる。また、神明窟で難行を積んだと伝えられる。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられている。ーWikipediaより
五所神社・神明宮 | |
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御厨人窟(左)と神明窟(右) | |
所在地 | 高知県室戸市室戸岬町 |
位置 | 北緯33度15分5.32秒 東経134度10分48.95秒座標: 北緯33度15分5.32秒 東経134度10分48.95秒 |
主祭神 | 大国主命(御厨人窟) 大日孁貴(神明宮) |
別名 | 御厨人窟 |
神明窟の内側からみる景色は今でも「海と空だけ」らしく、しかも洞窟に響き渡る波の音は、今も変わらないのだとか。修行時のこの景色から法名「空海」が誕生したって聞くと、なんかすごいなあーと改めて深く納得。
見るだけなら数分で終わるけど、今も残されているのがすごい
室戸岬からこの御厨人窟を含むあたりは、海岸沿い2.6kmにわたり乱礁遊歩道 という名前の歩道がつくられているので、アコウやハマユウなどの亜熱帯植物を楽しみつつ、御厨人窟だけでなく、空海行水の池、衆生の眼病を治したとされる目洗いの池、さらに悲しい伝説が残されているビシャゴ巌など、室戸の自然と歴史を楽しむことができるルート。
今は洞窟の内部に入れないので、洞窟の入口を見てあっという間にはい終わり!ってなってしまいそうですが、(実際わたしも急いで徳島に向かう必要があったのでわりとすぐ出発)時間があれば少し周囲の海を散策したりして、当時の空海の修行と今、おそらくほとんど変わらない景色に思いを馳せてみるのもいいんじゃないかなと思います。
なんにせよ、その洞窟だけじゃなく環境もわりと残されているっていうのがここはすごいところだな、と思うわけで。(たぶんこれがこの地じゃなければ、目の前の海が埋め立てられたりとかしてそう)
お遍路さん屈指の難所24番札所・最御崎寺へもどうぞ!
「ほつみさきじ」と読む。通称「東寺」。室戸岬灯台の近くにある、四国八十八ヶ所霊場の24番札所。807年に空海が創建しました。
ちなみに弘法大師っていう名前は、空海の没後、その功績が讃えられてつけられた名前なのだそうです。四国や高野山では少なくとも「お大師さん」と言うともう空海しかいなくて、当時の功績を考えても、本当に仏教界ならず国レベルのスーパースターなんだなあと改めて思うわけで。
わたしは車で巡ったので、途中の岬展望台の駐車場から少し上がるだけで到着しましたが(それでもちょっと坂道)、徒歩でお参りするときは、前述の御厨人窟あたりから登り口があるそうで(急坂徒歩20分)
この日も数人、四国八十八ヶ所遍路のみなさんが(たぶん)歩いて参拝されていました。すごいー
四国八十八ヶ所巡りと第24番札所・室戸山 明星院 最御崎寺(ほつみさきじ)
四国八十八カ所を巡拝する“遍路”は、宝亀5年(774年)、讃岐の国に生まれた弘法大師(空海)の、若き日の修行の足跡をたどろうと、修行僧たちがゆかりの寺を巡るようになったとことが始まりとされています。そして、千年以上の時を経たいまもなお、お大師さんと「同行二人」、遍路をする人たちの姿が数多く見られます。四国四県の中でも、太平洋の荒波に立ち向かうかのように位置する高知県は、豊かな自然の恵みを受ける反面、その厳しい姿とも対峙しなければならない場所です。八十八ヵ所の霊場のうち、高知にあるのは、東の第二十四札所「最御崎寺」から、西の第三十九番札所「延光寺」までの16ヵ所。東西に長い県ですが、札所の数は四県中もっとも少なく、次の札所までの距離が長いことから、土佐は“修行の道場”と呼ばれています。
徳島から高知に入って最初の札所が最御崎寺です。地元では「東寺」として親しまれています。室戸岬の頂上近くにあり、節目の場所にふさわしい重厚なたたずまいです。嵯峨天皇以来の勅願寺で、ご本尊は虚空蔵菩薩。石造の如意輪観音半跏像、木造の薬師如来像と月光菩薩像の3体は国の重要文化財に指定されています。
お遍路さんやる人は、「高知はキツイ」とよく言うのは知っていたのですが、ホントにここは大変そう!それにだいたいこの手の札所の神社、必ずといっていいほど山の上とかなんですよねー。こないだこんぴらさん行ったけどそのときも坂道やばかったし、そういう道のりこそが「修行の一環」なんでしょうね、当然。
御厨人窟(みくろど)