1-Travel 旅 1.5-50 中国四国

香川・金比羅宮/日本の里山と自然は奥深いーその2 

四国・香川県高松は今、海外からのゲストが増えている!

いろんな要因があると思うのですが、(一番大きいのはアジア圏から格安LCCが多数就航していること)高松、数年前からわたし自身注目していた都市でしたが、今またすごく大きく変化中だなと思っています。

来年2019年が瀬戸内国際芸術祭開催の年。(開催は3年に1回)
たぶん今までよりも相当すごく混雑、海外からの観光客も前回よりは比べ物にならないくらい増えるはず。今はまだそこまで混雑してない高松の名物商店街(8つの商店街がくっついていて日本一規模が大きいらしい)も、そのうち心斎橋筋みたいになるんじゃないか・・・なーんて思ったりしています。

やはりうどんは外せない!

ことでん沿線のコンテンツがおもしろい

地方の電鉄会社が元気なところはおもしろい、と個人的に思っているのですが、ここ高松ではことでんこと琴平電鉄ががんばっています。ことでんと高松界隈のことについては別途記事にします〜

ことでんで高松市内から1本で琴平駅まで1時間ちょっとでたどり着きます。むかしの電車は、こういう神社仏閣への列車が発達していることが多いんですね〜。ブラタモリとかでもよくやってるやつ。成田山新勝寺もそうでした。

香川県高松市琴平町

琴平町(ことひらちょう)は、金比羅宮(こんぴらぐう:通称こんぴらさん)のふるさと。ものすごーく長い階段の上に本殿があることで知られています。

なんか琴平って言ったり金比羅宮っていう名前が妙だったりするのも理由があるようで、なんと金毘羅(コンピラ)というのはサンスクリット語のクンピーラから来ているのだとか。

その他地名やご利益や、ものすごい長い階段については、香川のブロガーの人がすごい詳しく書いてるのでそちらをぜひよんでみてね

こんぴらさんに来る前に! 知っておくと10倍楽しくなるアレコレ

笑顔でしあわせ!こんぴらさん! いいキャッチコピーだ

石段がやばい

ここは本当に行くのが大変!
すでに坂道になっているお店が立ち並ぶ参道を歩いて、何か見えてきた!ここか!と思えば、まだそこは大門という門があるだけ。そこから本殿までさらに石段500段以上を上る必要があるのです。

昭和59年っぽい地図!

しかし上り終わるとすごく立派な寺院建築と日本おとぎばなしみたいな田んぼと山の絶景が待ってくれています。

アニメ「日本むかしばなし」のオープニングみたいと思ったらあのオープニング作者は四国出身だった

 

ここかと思ったら違った途中の休憩ベンチで自撮りの練習

本殿は、ちょっと出雲大社とか諏訪大社に似たような立派なつくり。その日は雨模様の1日でしたが、わたしがこんぴらさんに上っている間だけほぼ止んでいて、本殿あたりで一瞬晴れ間も見えてそれがまた感動的でした。

神社は更に奥社までありますが(そこまではさらに1,000段ぐらい石段があるらしい)なんと豪雨の影響で参道が崩れ、立ち入り禁止になっていました。

運動不足のせいで、ここの往復だけでふくらはぎが攣りそうになっていたわたし。もし開いてても絶対無理!でしたが。

下りがまたコレ・・・

沿道・参道が楽しい

老舗のさぬきうどんのお店の他、有名な寺院の手前にありがちなベタなお土産屋さんや食堂などが続いています。

手打ちうどんを学べる「中野うどん学校」もあるよ!

ちょっと前までは、あの変わらなさが「なんとかならんのか」「もっとデザインを!」とか思ってたんですが、最近ホコリをかぶった招き猫売ってる店のほうが、変なパワーストーンのお土産屋みたいなのよりはマシで、「あれはあれでいいのかもしれない」と思うようになりました。

こういうのカオスな感じも日本の文化遺産なのかもしれない・・・と

こんぴら詣で。江戸時代から続くエンターテインメント

こんぴらさん詣でと呼ばれるこの金毘羅信仰、江戸時代に流行った熊野詣、伊勢参りときっと同じような流れなのかなあと思うけれど、そのつくりって本当によくできてるなあと最近つくづく思うのです。そしてその伝統は脈々も今も続いている。

 

金毘羅信仰ーこんぴらしんこう

金刀比羅宮(ことひらぐう)(香川県琴平(ことひら)町鎮座)を中心とする海上安全の信仰。金毘羅とは、インドのガンジス川にすむ鰐(わに)を神格化した仏教守護神の一つで、その宮はインド象頭山(ぞうずさん)にあった。それが、金刀比羅宮境内にあった松尾寺本尊釈迦如来(しゃかにょらい)の守護神とされていたことにより神仏習合して、金刀比羅宮は象頭山金毘羅大権現(だいごんげん)と称し、海神、水神として、海上安全、海難救助、また雨乞(あまご)い祈願をされるようになった。室町初期以降、瀬戸内の海上交通の発達、また塩飽(しわく)水軍などの活躍とともに、その信仰は広く航海、漁労関係者の間に広がり、江戸時代に入ってからは、廻船(かいせん)の発達で、全国に金毘羅権現が勧請(かんじょう)され、金毘羅講を組織しての金毘羅詣(もう)でが全盛を極めるに至った。琴平山を望む丸亀(まるがめ)、多度津(たどつ)沖を航行の船が賽銭(さいせん)などを樽(たる)に入れて流す「流し樽」を、発見した近隣の船が金刀比羅宮に届ける風は現在も行われている。ー日本大百科全書(ニッポニカ)より

  頂上付近に潜水艦の模型?みたいなのがあったのもこういう船の信仰があるからなのねーと納得。ぜひ体力をつけて!または体力をつけるために!チャレンジしてみてください〜

金比羅宮(こんぴらさん)

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