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『世界中で迷子になって』ーワンダラーユウコの読書ログ#13

作家・角田光代さんは勝手に旅人の同志で先輩な感覚

角田光代さん。デビューの頃から、年も少し上なだけの旅人っていうだけで勝手に一方的に親近感を持っていています。以前、直木賞を取ったときには「すげーあの旅人のおねえちゃんが!」と会ったこともないのに、いつかどこかの宿で会って話したことがあるかのように喜んだりして。

いつかこんな文章がわたしにも書けたらいいのにな、と思いながら自分に書けずに落ち込んだり(相手は直木賞作家ですよ?)しています。

世界中で迷子になって
世界中で迷子になって 角田光代 (画像クリックでAmazonにリンク)

この本は旅をテーマにした2008〜11年頃のエッセイ集で2013年に刊行された本。ファンというほどには、特に小説のほうは著作を読んではいませんが、エッセイは時々読んだり文庫を買ったりはしています。

激しく首を縦にぶんぶん振りたくなる感覚ばかり

エッセイなどを読むと、ご自身はすごく真面目な性格で、臆病でそんな大胆な旅なんてしなさそうなのにかなりあちこちガッツリバックパッカーしてるというギャップもおもしろいなーと思っているんですが、それ以上にいつも感心するのが、作家なんてフリーランスの究極みたいな職業だと思うのに、「月〜金で9時5時で事務所に通勤して文章を書いている」というエピソード。村上春樹さんもそうだっていうけど、生活のリズムに毎日に執筆が根付かないと作家なんて職業はできないんだろうなあと思ったりします。

 

彼女の旅エッセイは、(わたしはもうちょっと気楽で大胆で旅慣れてるかもしれないけど)「そうそうそう!」って首を立てにぶんぶんと振ってうなずきなくなるような、でも言葉にするのが難しい、ちょっとしたおもしろさや気づきが書かれていることが多くて好きです。

アジアの旅、ヨーロッパの旅は水と石の違い

アジアとヨーロッパの旅は、旅人の目的のありようがぜんぜん違うと角田さんは言います。

 

たとえば、アジアを旅するのに、目的はさほど重要ではない。アジア、とくに気候の暑い国は、旅人に目的を求めていない。むしろ、目的を奪いすらする。あの町に行ってあの遺跡を見ようと思っていたけれど、まあいいや、暑いし、この町でも十分楽しいから、と、すぐにそんな気持ちにさせてしまう。そして、こちらがなんの目的もなく、ぼうっとした時間を過ごしていたとしても、かならず何か、旅を実感させるようなことが起きる。

だれかが話しかけてくる。似たような長期旅行者や、あるいやその町に住む人や。食事に誘ってくれたり、中心地から離れた、たとえば川や湖や滝や、ディスコやお寺や市場に連れていってくれたりする。一日、なんの予定がなくとも、気がつけばそんなふうに過ごしている。ガイドブックには載っていない旅をしている。

20代の、私のアジアの旅はいつだってそんなふうだった。予定を何ひとつ決めずに移動していても、日々、何かしらやることはあった。まったくの受け身でいても、退屈もせず、気がつけば自分の意志とは裏腹に、じつに能動的な旅になってしまう。

ヨーロッパで私が感じた勝手の違いは、つまりそういうことだった。受け身でいれば、何も起きない。予定を決めなければ、日々は真っ白なまま。自分で歩き出さないかぎり、だれもどこにも連れていってくれず、自分で動かなければ、旅を実感することもない。

(中略)

30代になって、アジア中心の貧乏旅行にちょっと飽き、そこまで節約しなくてもいいだけの余裕もでき、旅といえばヨーロッパを目指すようになった。未知の世界、未知の場所。

そして旅先で、いつも私は戸惑った。あまりにも何も動かないから。ともするとどっぷりと退屈に浸かることになる。食事はおいしい。町歩きも楽しい、でも、私の旅、これでいいのだろうか、と不安になるくらいの退屈。ものごとはスムーズに進み、偶然が偶然を呼び旅に翻弄されるこということがない。日本人や各国旅行者と話をする機会もなく、機会があっても距離が縮まることはなく、予定外のことはまず起きない。

幾度目かのヨーロッパで、ようやく私は気づいた。アジアは水で、ヨーロッパは石なのだと。水に自分を投じていれば、ものごとは勝手に動いていく。何も決めずとも、水の流れるほうに身をゆだねていれば、景色は勝手に変わってくれる。目指したところと違う場所に流れついている。石はそうはいかない。石の上に座っていても、何も動かない。石に陽があたり、翳り、そして夜になるだけ。その場で自力で動かなければ、どこにも行き着かないし、景色は何も変わらない。ー『世界中で迷子になって』より引用

 

 

それは、文化の違いだと呼べるのかもと角田さんは書いています。ヨーロッパの何百年もそのままな石畳や建築物と、アジアの竹や土でできて、壊れたら作り直すものたち。東京という町も含め、水が流れるようにどんどん過去を捨て未来を受け入れる、過去をそのままに新しいものを受け入れ続け、変わることに躊躇がない世界と、目的がはっきりしていて、具体的であればあるほど旅が充実するヨーロッパの旅。

この違いは、最初に旅に出た、または印象に残った旅先がどっちに属するかによって、旅のありようや旅観、旅に求めるものはまったく異なっているはずだし、ひょっとしたら、旅を超えてものの考えかた、価値観、大げさにいえば生きる姿勢にも、それは関わってくるのではないか、と指摘しています。

バンコク・スワンナプーム空港付近 中級宿が点在してます

ひとりで旅をしたときの印象かも。

角田さんがそういう意味で一番、若い頃に旅の印象をかたちづくったのは「タイ」と言っていて、わたしもおそらく海外でいうとそうなので、そうねそうね!と思うんですが、私自身を考えると、その印象に残った場所に加えて、ひとり旅をした最初の場所や体験がどこだったかというのもあるかなーと思いました。

ちなみにわたしの初めての海外旅は大学2年で行ったカナダのバンクーバーとウィスラーへのスキー旅行。これは友人と一緒だったし、初日は観光がついてくるようなフリーツアーだったから、旅感が植え付けられるという感じではなかった。

その後、アメリカドライブ旅行などを経て、ひとりで旅をしたのが彼女同様タイで、当時のタイでのゆるゆるで予定がじゃんじゃん変わる、宿泊先も行き先も現地で決めるパターンの旅がその後の自分を決めていったように思います。

だから友達と一緒、ではなく、はじめての一人旅っていうのが結構印象としては大きいんじゃないかな〜なんて思ったりするけどどうでしょうか。わたしの初ひとり旅は、屋久島への自転車&キャンプ旅。あまりにも楽しくて、印象深くて、書いて残したい!とホームページまでつくってしまった20代前半、ピカピカだったこのときの経験が今の自分を作っているんだな〜。

ひとつひとつのエッセイ文がうまいしおもしろい

他にも17年ぶりに行ったニューヨークで感じた、若いときの印象と今の旅の楽しみ方の違いと「年を重ねて自分を知る」ことのよさや、旅人あるある的な「長距離バスのトイレ問題」とか、後半の買い物グッズのエッセイも、「意外と?小心者で臆病」な彼女の一面が見えたりと、他にも紹介したい文章がたくさんあるけれど、それはぜひ書籍を入手して読んでみてください。文庫版もあるようなので!

近すぎてボケてる

 

あとがきもよい。

若い頃にした旅のスタイル=お金の使い方のスタイルは、年を取ったときにもそのまま活かされるのではないか?(良くも悪くも)というのは本当にそうかもしれないなあと思います。

 

 

旅とお金というものが、そもそもがっちり結びついている。その地でお金を使わないと、その国のありようを学び損ねる、と私は思っている。

お金を使わない旅なんてなさそうだけど、ある。たとえば食事も含めスケジュールが決まっているツアー旅行。日本円で先に払っているだけだけれど、その地で、おみやげ以外お金を使うことは極端に少なくなる。1日のスケジュールがびっちり組まれていて、自由時間が極端に少なく、食事も決まったところでみんなと食べる。財布を開けることがまったくないわけではないが、やはり、少なくなる。そうすると、その場所はいつまでもよそよそしい。

お茶を一杯、食事一回の相場がわかり、高い、安いとわかるようになってようやく、私は旅行者としてその地に足を踏み下ろした気持ちになる。

 

 

結局のところ、お金を使う=自分の意志なんだと思うんですよね。お金という名前のエネルギーとも言える。それをツアー旅行だと「丸投げ」してしまうことになる。丸投げしてOK!信頼できるからGO!という人やグループの場合は、それはそれで十分楽しめると思うけれど、やっぱりわたし自身は、角田さんが書かれているようなお茶一杯、食事一回分の相場を知ってこそ、という考え方はそうだよな〜とおもうのです。

ちなみにAmazonの読者レビューのみなさんの文章も秀逸ですばらしいので、ぜひ読んでみてください。

写真はすべてタイ北部・チェンマイ近郊

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